大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和29年(ワ)4421号 判決

原告(反訴被告) 張替新三郎

右代理人 布山富章

〈外一名〉

被告(反訴原告)(訴訟告知人) 組川貞美

右代理人 江見盛秀

〈外一名〉

訴訟被告知人 高野元春

主文

一、被告が、別紙第一目録記載の土地について、賃借権を有しないことを確認する。

二、被告は、別紙第二目録記載の板塀を撤去しなければならない。

三、反訴原告(被告)の請求は、之を棄却する。

四、訴訟費用は、本訴、反訴とも被告(反訴原告)の負担とする。

五、本判決は、原告に於て、金三万円の担保を供するときは、第二項に限り、仮に、之を執行することができる。

理由

一、原告と訴外高野元春との間に於て、原告主張の日に、同訴外人所有の本件土地について、売買契約が為されたこと、及び同日その登記が為されたことは、当事者間に争のないところである。

二、而して、右争のない事実と証人高野留吉、同三枝太郎、同和田正治の各証言、並に原告本人尋問の結果、及び証人和田正治、同高野留吉の各証言と原告本人尋問の結果とを綜合して真正に成立を認め得る甲第一号証、証人高野留吉、同和田正治の各証言と原告本人尋問の結果とによつて真正に成立を認め得る甲第三号証の一、証人和田正治の証言と原告本人尋問の結果とによつて真正に成立を認め得る甲第三号証の二、原告本人尋問の結果によつて真正に成立を認め得る甲第四号証の一、成立に争のない甲第二号と被告本人尋問の結果及び被告本人尋問の結果によつて原本の存在とその成立並にその原本の写であることを認め得る乙第二号証とを綜合すると、訴外高野元春なる氏名は、訴外高野留吉が本件土地について、使用した氏名であつて、その本人は、右訴外留吉であること、同訴外人は、本件土地を、昭和二十五年六月七日、訴外姥原某から買受け、その所有権を取得したのであるが、その登記を為す際、その所有名義人として、その長男の氏名である高野元春なる氏名を使用した為め、爾後、本件土地については、すべてその氏名を使用して来たこと、右訴外留吉は、本件土地の所有権を取得した後、同年七月八日に至り、之を被告に賃貸し、被告に於て、本件土地について期間を、昭和二十二年五月八日から同四十二年五月八日に至るまでの二十年間とする賃借権を取得したこと、その後右訴外人の子(長男元春の弟)が、金物商を営むこととなり、その店舖を設ける為め、本件土地を使用する必要が生ずるに至つたので、被告に対し、その返還を求めたところ拒絶されたので、本件土地を売却して、他に店舖を求めることとし、被告にその買受方を交渉したが、代金の点で、折合がつかず、結局、被告に於て、之を買受けなかつたので、止むなく他に売却することとして、買主を物色して居たところ、偶々、昭和二十八年九月中に至り、訴外和田正治から、訴外三枝太郎を通じて、本件土地の買受希望者があるから、その売却方を自己に委託され度い旨の申出があつたので、前記訴外留吉は、その一切の処置を、右訴外三枝に一任し、同訴外人は、本件土地は、被告に賃貸してあるが、それを承知ならば、その売却方を委託してもよい旨申入れたところ、右訴外和田は、被告に賃借権があつてもそれは、第三者に対抗出来ないもので、売却には差支えないから、売らして貰い度い旨申出で、被告に賃貸してあることを承知の上で本件土地の売却方の委託を引受けたので、右訴外三枝は、その頃、右和田に右売却方を委託したこと、そして売却代金は、両者協議の上、被告に賃貸中である為め、一坪につき金六千円の割合と云うことに取決められたこと、右訴外和田は、右委託に基いて、原告に、その売却方を申入れ、原告と売買の交渉をしたこと、その交渉中、同訴外人は、本件土地が被告に賃貸されて居ると云うことは、之を明かさず、唯、本件土地について絶対心配はない。一切は同訴外人に於て責任を負う旨、及び本件土地は、直ちに使用することが出来るから、建物を築造しても良い旨を言明しただけであること、売主については最初之を明かにしなかつたが、後に至つて、それが訴外高野元春(その本人は、前記の通り、訴外高野留吉)であることを明示したこと、一方、原告は、登記簿について、本件土地の権利関係を調査したところ、その所有名義人が高野元春であること、及び賃借権その他の登記のないことが判明したこと、その結果、本件土地に第三者たる原告に対抗し得る何等の負担もないことを知り、右訴外和田の前記言明を真実であると信ずると共に、本件土地の買受方を決意するに至り、同月下旬頃、その旨の意思を右訴外和田に表示し、代金は、相方折衝の結果、一坪について、金一万二千円の割合によることに合意が成立し原告主張の日に、正式に売買契約書を作成して、契約上の手続を完了し、同日原告に於て、代金百五十六万三千円を支払い、且、即日、所有権移転登記が為されたこと、及び右訴外和田が原告と右売買について交渉中、前記訴外三枝及び訴外留吉に対し、本件土地が、一坪について、金六千円の割合による代金以上の代金で売却出来た場合に於ては、右訴外和田に於て、その差額を取得する旨申入れ、その承諾を得て居たこと、之によつて、原告から支払われた前記代金は右訴外留吉に於て金七十八万三千円を、右訴外和田に於て、差額金七十八万円を、夫々受領したことを認めることが出来る。

三、右認定の事実によると、訴外高野留吉(本件取引に於て表示されたその氏名は高野元春)は、その所有に係る本件土地の売却について、その一切の処置を、挙げて、訴外三枝太郎に委託し同訴外人は之に基いて、訴外和田正治に、その売却方を委託したと解されるから、右訴外留吉と右訴外和田との間に於ては本件土地の売却方について、委任関係が成立し、而も、その売却代金については、その関係成立後に於て、当初の取決め以上の代金で売却することが出来た場合は、その差額は、右訴外和田の所得することに変更されたものと認められるので、その売却代金は、当初の取決め額以上に於てならば、右訴外和田に於て、自由にその額を決定し得るところであつたと云い得るから、右訴外和田は、右委任に基いて、当初の取決め額以上の代金で、自由に、本件土地の売却を為し得る権限があつたと云うべく、而して、斯る場合の委任契約に於ては、その契約中に代理権授与の契約を包含して居ると解するのが相当であるから右訴外和田は、本件土地の売却について、右訴外留吉を代理する権限をも併せ有して居たものであると云わなければならない。

而して右訴外留吉を代理する権限のあつた右訴外和田の表示した意思と原告の表示した意思とに完全な合意のあつたことは、前記認定の事実に照し、明白なところであり、又、右訴外和田が、本人の為めにすることを明示して、右意思表示を為したことが、前記認定の事実によつて知られるから、(前記認定の様な取引事情の下に於ては、本人が誰であるかを明示さえすれば、特に、本人の為めにすることを明示しなくとも、その明示があつたものと解すのが相当である。蓋し、相手方たる原告が、本人の誰であるかを、その取引の中途に於て、既に、了知し、右訴外和田の行為が、本人の為にするものであることを了解して居たと解されるからである)。それは、本人たる右訴外留吉に対し、その効力を生じ、原告と右訴外留吉との間には、本件土地の売買について、合意が成立したことになるから本件土地について、右両者の間に、売買契約が成立したことは論を俟たない。

尤も、右訴外和田が、被告に於て、本件土地を賃貸中であることを知りながら、之を原告に明示しなかつたことは、前記認定の事実に照し明白なところであり、又、原告が、右賃貸中の事実を知れば、右売買契約をしなかつたであろうことは、(原告の内心の意思)、原告本人尋問の結果によつて、之を肯定し得るのであるが、契約に於ける意思表示の合致の有無は、専ら表示されたところの客観的な効果意思によつて判断されるべきものであり、従つて、表示された限りに於て、意思の合致があれば、契約は成立するものであるところ、原告の右内心の意思の表示されなかつたことは、前記認定の事実と原告本人尋問の結果とによつて之を窺知することが出来るばかりでなく、表示された限りに於て、その意思の合致のあつたことは、前記認定の通りであるから、原告の内心に右の様な意思があつたからと云つて、前記売買契約の成立自体には何等の影響をも及ぼすものではない。

而して、右訴外和田が、右賃貸中の事実を表示しなかつたことと、前記認定の原告が、前記契約締結以前に於て、登記簿を調査の上、本件土地に、登記された賃借権その他の権利のないことを確めた上、その契約を締結したことを併せ観るときは、原告は、本件土地を更地として買受ける意思で、その意思表示を為したものであると解されるところ、事実は、被告に於て、前記の通り、之を賃借中であるから、その表示されたところと、事実とが合致して居ない様な外観を呈して居るので、その意思表示に、錯誤がある様に見受けられるのであるが、被告の有する前記賃借権に、登記その他の対抗要件が具備して居ないことは、被告の自認するところであつて、斯る賃借権は、第三者に対抗し得ないものであるから、第三者たる原告にとつては、その実質は無いに等しい権利であり、従つて、原告の為した賃借権のない更地として、之を買受ける旨の意思表示は、事実更地であるものを、更地として買受ける旨の意思表示であつたと解されるから、その意思表示には何等の錯誤もなかつたと云わなければならない。従つて、本件土地について為された前記売買契約は、有効である。

四、故に、被告が、その答弁第二項に於て為して居る主張は、理由がない。

五、原告は、被告の右主張は、証拠調終了後に於て為されたもので時期に遅れた不適法な主張であるから、却下されるべきものであると主張するのであるが、被告の右主張は、証拠調終了後に於て為されたものではあるが、証拠調の結果に基いて為され、且新な証拠調の必要はなく、訴訟を遅延せしめる虞は毫もないのであるから、違法ではなく、原告の右主張は理由がない。

六、以上の次第で、本件土地について為された前記売買契約は、有効であるから、原告は、之によつて、その所有権を取得し、且、その後に於ても、その所有権を保持して居るから、現に、その所有権者であり、而もその取得の登記を了して居るからその所有権を以て、第三者に対抗し得ること勿論である。

七、而して、被告が、本件土地について、原告が、その所有権を取得する以前に於て、その前所有者前記高野留吉と賃貸借契約を締結し、被告主張の賃借権を取得したことは、前記認定の通りであるが、その賃借権に、登記その他の対抗要件を欠くことは前記の通り、被告の自認するところであるから、被告の右賃借権は、之を以つて、原告に対抗し得ないから、原告に於て、その存在を否認し、その不存在を主張し得ることは、多言を要しないところである。

然るところ、被告は、原告に対し、本件土地について、右賃借権を有することを主張し、抗争して居るのであるから、原告は、本件土地について、被告が、右賃借権を有しないことを、即時に、確定するについて、法律上正当の利益を有する。故に、原告の、被告が、本件土地について、賃借権を有しないことの確認を求める請求は、正当である。

八、原告が、前記訴外高野留吉から、本件土地を買受けるに際し、同訴外人と、被告の有する前記賃借権について、その賃貸人たるの地位を承継する旨の契約を為した事実については、之を証するに足りる何等の証拠もなく、(尤も右訴外高野留吉がその代理人たる訴外和田正治に、本件土地の売却方を委託した当初に於て、本件土地が被告に賃貸中であることの事実を表明し、右訴外和田が之を了知して居たことは、前記認定の通りであるが、これは、単に、本人と代理人間の単なる内部関係にとどまるばかりでなく、右訴外和田が、右訴外留吉の代理人として、原告と本件土地の売買契約を締結した際には、その点について、双方から何等の事実の表明も、又何等の意思の表示もなかつたのであるから、右事実があつたからと云つて、原告が本件土地について、右訴外留吉と売買契約を為した際、同訴外人と賃貸人たるの地位を承継する旨の契約を為したことの証左とはならない)。却つて、証人高野留吉の証言及び原告本人尋問の結果によると、その様な契約を為した事実の全然ないことが知られるので、被告が、その答弁第三項に於て為して居る主張は、理由がない。

九、対抗要件を具備して居ない土地の賃借権は、その土地について所有権を取得し、登記を了した第三者には対抗し得ないものであるが故に、その第三者に対する関係に於ては、その無きに等しいものであるから、その第三者が、その土地の所有権を取得したからといつて、その賃借権を侵害したことにはならないし、又、その賃借権附のままでその所有権を取得したことにもならない。

又、土地の賃借権と雖も債権であつて、これが対抗要件を具備して居ない以上、通常の債権以上には、その効力を有しないのであるから、それは、何処までも、賃貸人と賃借人と云う特定人間の権利の関係たるに止まり、その土地に附着してその所有権を制限する権利たるものではない。従つて、本件土地について、被告に前記認定の賃借権があつても、それに対抗要件を具備して居ない以上、それは本件土地に附着し、その所有権を制限する権利ではないから、その所有権は、何等制限のない完全な所有権であつて、訴外留吉は、之を原告に譲渡したのであるから、その譲渡が、自己の有する以上の権利の譲渡でないこと勿論である。従つて、原告は、完全な所有権を取得したものであつて、賃借権附の所有権を取得したものではなく、賃貸人たるの地位は、之を承継していない。(尤も、特約によつて、賃借権附のままで譲渡を為し得ることは、勿論であるが、その様な特約の為されなかつたことは、前記認定の通りであるから、右譲渡には賃借権は附着して居ない)。更に、又、物権が債権に優先することは論議の余地のないところであるから、登記の為されて居る原告の本件土地の所有権の取得が、対抗要件を具備して居ない被告の賃借権に優先することは当然であつて、賃貸人たるの地位の承継の如きは認める余地がない。

故に、被告が、その答弁第四項に於て為して居る主張は、理由がない。

(尚、権利に不可侵性があり、又、何人も自己の有する以上の権利を譲渡し得ないことは、勿論であるが、之を前提として、直ちに、賃借権の設定してある土地の譲渡が、その賃借権附の土地の譲渡となると速断することは誤りである。元来土地の所有と、その賃貸借とは、その性質上、互に権利の質を異にし、夫々、別異の権利として独立しているものであるから、賃貸借が、土地の所有関係に附着すると云うことはない。唯、賃借権について、対抗要件が具備されると、それが物権化されることによつて、土地に附着した権利と同様になる。これは、権利の質の変化による賃貸借の土地への附着である。この場合は例外でつあて、この場合を除けば、すべて、前記の通り、夫々別個独立の権利である。従つて、特約のない限り、その処分は、すべて、別個独立に為されるのが当然である。斯るが故に土地の処分には、賃貸借関係の処分を含まないし、又、その処分は、賃貸借関係の侵害とはならない。唯、賃貸借契約に於て、債務不履行又は、履行不能の事態が生ずるだけのことである。故に被告の前記主張は、論理的に誤りがあり之によつて、その主張自体理由がないとも云い得る。)

十、被告がその答弁第五項に於て主張して居る様な不法の目的で原告が本件土地を買受けたと云う事実については、之を認めるに足りる証拠がなく、却つて、原告本人尋問の結果によると、原告は、原告が被告の主張に対する答弁第四項に於て主張する様な事情と目的の下に、本件土地を買受けるに至つたものであることが認められ、又、その売買契約が適法であることは前記の通りであるから、原告は正当な目的を以て、適法に、本件土地の所有権を取得したものであり、而も、その取得について登記を了して居るのであるから、その取得を以て、第三者に対抗し得ると共に登記の欠缺を主張する正当の利益を有すること勿論であつて、斯る者に対しては、その者が、賃借権の存在することを知つて、それを取得した悪意の取得者であつたとしても、対抗要件を具備しない賃借権を以て、対抗し得ないと解されるから、被告は、対抗要件を具備して居ないその賃借権を以て、原告に対抗することは出来ない。

故に、被告が、その答弁第五項に於て為して居る主張は、理由がない。

十一、土地の賃借権者が、その土地を占有して居るからと云つて、その賃借権に対抗力が生ずるものではないから、被告がその答弁第六項に於て為して居る主張は理由がない。

十二、原告が、被告主張の様な不法な目的で、本件土地の所有権を取得したことの認められないことは、前記の通りであつて、原告は前記の通り、正当な目的を以て、適法に、その所有権を取得し、而もその取得の登記を了して居るのであるからその所有権の取得を以て、第三者に対抗し得ること勿論であつて、被告は対抗要件を具備して居ないその賃借権を以て(被告の賃借権に、登記その他の対抗要件の具備して居ないことは、前記の通り被告の自認するところである)、原告に対抗することの出来ないことは、当然である。而して、被告の賃借権が、右の如きものである以上、それは、原告に対する関係に於ては、その存在することを主張し得ないものであつて、無きに等しい権利であるから、原告が、その存在することを否認し、その不存在を主張することは、法律上当然許されて居るところである。従つて、原告が原告に対する関係に於て、被告の賃借権の存在することを否認し、その不存在を主張することは、正当であつて、何等不法の廉はない。又、原告が、被告がその主張の事情で、本件土地の賃借権を取得し、その占有を為して居た事実(これ等の事実のあることは、被告本人尋問の結果と証人水落正二、同堀越伊吉の各証言及び検証の結果によつて之を認めることが出来る)を了知し得る事情の下にあつたことは、原被告各本人尋問の結果並に検証の結果及び証人水落正一、同堀越伊吉の各証言を綜合して之を肯認し得るところであるが、この様な事情の下に於て、原告が本件土地を買受けたからと云つて、被告主張の様な不法な目的で、それを買受けたことにならないこと勿論である。何となれば、原告は、前記の通り、本件土地を買受ける以前に於て、本件土地に、原告に対抗し得る賃借権その他の権利のないことを予め確めた上、その買受を為したものであること前記の通りであるから、原告は、被告に本件土地の賃借権があつても、それは対抗力のないもので、原告に対する関係に於ては、無きに等しい権利であることを知つて買受けたものであり、又、然るが故にこそ、之を買受けたものであつて、それは、もとより、法律上正当であるから、前記の事情の下にある原告が、本件土地を買受けたからと云つて、被告主張のような不法の目的で、それを買受けたことにはならないこと勿論であるからである。従つて、原告は、前記事情の下にあつたとは云え、もとより、正当なる本件土地の所有権の取得者であるから、原告に対する関係に於て被告に、本件土地の賃借権があることを否認し、その不存在を主張し得る正当な権利を有する。故に、原告が、その不存在を主張することは、正当であつて、毫も不当なところはない。

尤も、原告が本件土地に対する被告の占有を侵奪したことは双方本人尋問の結果並に検証の結果に照し、明白なところであるが、それは、不法な実力の行使であつて、権利の行使ではないから、それは権利の濫用の法理には関係がない。原告は、或はそれは権利の行使として、行つたかも知れないが、それは、客観的に、権利行使の形態を具有せず、不法な実力の行使に過ぎないから、権利行使の形態を具有して、不法を行う場合に生ずる権利濫用の法理には影響がない。(不法な実力の行使は、不法行為を構成し、その相手方は、之によつて、別個の権利を取得するから、之を以て、その実力の行使者に対処し得ること勿論である。而して被告は、原告の不法な実力の行使によつてその占有を侵奪されたのであるから、その占有の回復並に損害賠償の請求権を取得して居る。

故に、被告は、その権利を以て、原告に対処し得る。併しながら、この関係は、何処までも、不法な実力の行使に対する関係であつて、権利の不当な行使に対する関係とはその性質を異にするのであるから、権利濫用の事情として考慮すべき限りでない。

而して、被告は、その賃借権取得の日以来、唯、その占有を為すのみで、何等正当として是認し得る特別の事情がないに拘らず、相当高度の使用価値を有する本件土地を、その本来の用途に於て、使用することを何等せず、空地のまま之を放置して、雑草の茂るままに委せて置いたことが、原被告双方本人尋問の結果並に証人三枝太郎、同和田正治の各証言及び権証の結果によつて、認められるから、その処置は、現下の大都市に於ける土地使用の状況に鑑み、社会経済上、甚だ不当な処置と云うべく、之に反し、原告はその所有権取得以来、直ちに、本件土地をその有する価値に従つて、その本来の用途に於て、使用して居ることが、前記原被告各本人尋問の結果並に検証の結果によつて認められるから、その土地の使用は、社会経済上の要求に適合した処置と云うべく、従つて、社会経済的見地に於て正当性を有し、この正当性に基いてその使用の妨害となる被告の賃借権の存在することを否認し、その不存在を主張することは、之亦、正当であるから、被告は、原告が、被告の賃借権の存在することを否認し、その不存在を主張することを不当として、非難し得ないと云わなければならない。

又、私権の行使は、公共の福祉に遵つて之を為さなければならないものであるところ、被告の前記認定の処置は、前記検証の結果並に原被告双方本人尋問の結果によつて認められるところの本件土地の使用価値度に照し、到底、公共の福祉に遵つた権利の行使とは云い難く、之に反し、原告の本件土地の使用は、前記認定の通りであつて、それは、正に公共の福祉に遵うところの使用であると云い得るから、その使用の妨害となる被告の賃借権の存在することを否認し、その不存在を主張することは、正当であつて、被告は、原告が被告の賃借権の存在することを否認し、その不存在を主張することを不当として非難することは出来ない。のみならず、被告は、原告が、本件土地を買受ける以前に於てその所有者から、その買受方を懇請されたに拘らず、その買受を為さなかつたこと前記認定の通りであるから、被告は、本件土地が、他に売却されることを、当然了知して居たのであり、而も、その有する賃借権に対抗要件が具備せず、第三者に対抗し得ないことを知つて居たと推定されるから(賃借権に登記その他の対抗要件を具備して居ないことを知れる者は、当然、第三者に対抗し得ないことを知れる者であると推定される。仮に、それを知らないとすれば、それは、法律の不知であるからその不知を第三者に主張し得ない)。被告は、本件土地が、第三者に売却され、その結果、その賃借権を主張し得なくなることを暗黙裡に了解して居たと推定されるのであつて、それは、第三者に対する関係に於て、賃借権を有することの主張を予め抛棄したものと解すべく、従つて斯る者は、他人の権利の行使が、自己の権利の侵害になることを主張し得ないと云わなければならないから、被告は、原告によつて、その有する賃借権の存在が否認され、その不存在を主張されたとて之を不当として、非難することは出来ない。

更に、又、被告が、その賃借権を獲得して以来、原告が、その所有権を取得するに至るまでの間、相当の年月があつたのであるから、その間に、本件土地に建物を築造し、之を登記する等の方法によつて、之に対抗要件を具備せしめ得たに拘らず、而も、それを為すことが容易であつたと推測される(これは、被告の自認するところの、被告が材木商であるとの事実に基いて推測される)に拘らず、敢えて之を為さずに放置して置いたのであるから、今に至つて、その条件を具備していないことの為めに、その権利の存在することが否認されても、それは、被告自身の怠慢に基ずくもので、自ら招いた結果であると云わなければならないから、その不利益を蒙るに至つた責任を他人に転稼し得ず、被告自らその不利益を承服すべき筋合であつて、原告によつてその存在することが否認され、その不存在を主張されても、之を不当として非難し得ないと解されるばかりでなく、被告は、前記の通り、自己に於て、本件土地を買受ける機会があつたに拘らず、自らその機会を抛棄し、又賃借した本件土地は、前記の通り放置して置きながら、原告によつて、それを買受けられ、対抗要件の具備して居ない故を以て、その賃借権の存在することを否認されその不存在を主張されるや、之を以て、不当な主張であると非難し、逆に、それが権利濫用であることを主張して居るものであつて、右の様な事情にある被告が、その様に主張することは却つて信義に反し、不当であると云はなければならないから、被告は、原告が、被告の賃借権の存在することを否認し、その不存在を主張することを権利濫用であると主張することは許されない。

以上の次第で、原告が、本件土地に対する被告の賃借権の存在することを否認し、その不存在を主張することは正当であり、又、被告が、それを権利濫用であると主張することは許されないところであるから、被告が、その答弁第七項に於て為して居る主張は、失当であつて、理由がないことに帰着する。

十三、以上の次第であるから、被告の主張は、全部理由がない。

十四、被告が本件土地上に、原告主張の板塀を設置したことは、弁論の全趣旨によつて、被告に於て、之を争わないところであると認められるが、前記認定の通り、被告は、原告の所有権取得以前に於て、本件土地について、賃借権を取得して居り、之に基いて、右板塀を設置したものであることが弁論の全趣旨によつて知られるから、それは、被告が、権原に基いて、本件土地に附属せしめたものと云うべく、従つて、その所有権は被告にあるところ、自己の所有土地上に、斯る他人の工作物があることは、所有権行使の妨害となると云うことが出来るから、原告は本件土地の所有権に基いて、被告に対し、その撤去を求め得ると云わなければならない。故に、原告の、この部分の請求も亦正当である。

十五、被告の反訴請求は、原告と訴外高野元春(本人は前記の通り訴外高野留吉)との間の本件土地の売買契約が、不成立若くは無効であることを前提とするものであるところ、(従つて、原告に於て、その所有権を取得して居ないことを前提とするものであるところ)、その売買契約の有効に成立したことは、(従つて、原告に於て、その所有権を有効に取得して居ることは)、前記の通りであるから、被告の反訴請求は、その前提に於て既に理由がなく、従つて、他の点について判断するまでもなく、その請求は、すべて理由がないことに帰着する。

十六、仍て、原告の請求は、理由があるから、全部之を認容し、被告の反訴請求は失当であるから、全部、之を棄却し、訴訟費用は、民事訴訟法第八十九条を適用して、本訴、反訴とも被告(反訴原告)の負担とし、尚、板塀の撤去を命ずる部分については、仮執行の宣言を為すことを相当と認め、同部分について、同法第百九十六条を適用し、主文の通り判決する。

(裁判官 田中正一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例